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あれから一年

 まずは、哀悼の意を。

 慎んで、あの日亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。


 月並みな言葉ですが、早いものです。あれからもう一年ですか・・・。

 でも、まだ昨日のことのように思い出せます。この一年の間、本当に毎日震災のことを思い出しましたから。

 振り返ってみても、これほどのショックは人生に無かったように思います。これほどの長きに亘って心を囚われたことなど、恋愛を除けば無かったんじゃないかとさえ思います。ネガティブな感情では、本当に初めてかもしれません。


 2011年の3月11日以降、自分の人生が変わったと、はっきり思います。それは、このブログにも現れているはずです。

 はっきり分かる変化と言えば、原発や放射能についての記事が増えたこと。しばらくは、自然と震災に関係があることばかり書いていたと思います。今もそうかもしれません。


 以前のように、馬鹿なことを考える時間が激減しました。最近は更新をしていませんでしたが、アウトプットにかける時間をインプットに回しているだけで、日々国難の思いを強くしています。

 間違っても、以前のように馬鹿なテーマで書ける心境ではありません。それは、昔の記事を面白いと言ってくれた方々を裏切ることなのかもしれませんが、書けないのです。

 前は、ふざけたふりをして実は真面目というスタイルでしたが、今はどこを切っても真面目になってしまっています。職場でも、真面目な顔をしていることが多いと指摘されるようになりました。仮面を作れないほどに、追い込まれているのでしょう。

 気分転換に、未開拓だったオナホールの研究でもしようかと思いましたが、そんな気分もすぐに萎えました。爪痕は、確実に遺っているわけです。


 人生を変えられたあの日・・・。

 僕はテレビでその様子を見続けていました。傍観者でした。

 人々の生活をなぎ倒していく津波の、圧倒的恐怖。それを、ヘリコプターからの目線で見ていました。渋滞していることに苛つき、車を捨てて田んぼを走る人たちの姿を、上空からの映像で見ていました。暖かな居間で。安全圏からその様子を見ていたのです。

 しかし、それでも、心身がすぐに非常時モードに切り替わったことを憶えています。同席していた同じ地区の人の軽々しい発言にはらわたを煮え繰り返させながら、早く帰れと念じていたことを思い出します。


 もっとも、僕だって不謹慎なことを考えていました。

 これにより発生する被害総額は何十兆円になるだろうとか。

 このせいで菅政権が延命することになったら嫌だなとか(菅内閣は、外国人からの献金問題という首相本人のスキャンダルにより、本当に追いつめられていた。退陣も時間の問題と思われていた矢先の大震災だった。そういった状況が、あの被災地視察というパフォーマンスを生み、原発事故を拡大させたのだとしたらと思うと・・・)。

 あのがれきの中にどれだけの貴重品があるのだろうとか、この国難を利用して良い方向に向かえないだろうか、とか。

 その瞬間死にさらされている人がいるのに、金額や未来のことを考えていたのです。


 そして、正直なところ、あそこまで死者が増えるとは思っていませんでした。最初の直感では、千人いくかいかないかという、実に平和ボケした数字を思ったのです。

 おかしいでしょう?

 それから段々と修正してはいったのですが、人の情報に左右されない最初の直感がその程度だったということは、僕の『真剣』や『非常意識』がその程度のものであったということを示す証拠でもあります。今も自戒しています。


 あの時、生きる希望を無くした人に向けて書いたこと。「人々の善意を信じて、今はとにかく耐えて下さい」という言葉は、本心からでした。「だってここは日本ですよ、なんとかなるに決まっているじゃないですか」という言葉も、半ば以上は本心でした。

 ですが、自粛のために飲み込んだ言葉も、たくさんありました。思いとは逆の言葉も、書いたような気がします。


 思い出します。

 今は公然と言えることでさえも、発信するのに大変な決断を要したことを。

 原発事故により、福島は向こう何十年も住めない土地になるのではと匂わせた日。あの回を送信するには、非常にエネルギーを消耗しました。

 スリーマイルの人の言葉を借りたのは、卑怯だったでしょうか。僕自身が強く『一時故郷を捨てたほうがいい。未来のために』と思っていたのに、他人に託したわけですから。


 元々ここで反原発を訴えたりもしていた僕ですが、それであっても「危険だからとにかく逃げろ」とは言えませんでした。せいぜいが、

「僕が習ってきたことは、原発に何かあったら50km以上先まで逃げろということだけど・・・」

 という弱気なものだったはずです。

 内心では、(いいから、とっととうちの県まで逃げてこい)と思っていたにも拘らず。


 それでは、なんの意味も無かったのですよね。

 これなら、真偽混りつつも大胆な、ツイッターらの情報のほうがまだマシだったと思えます。

 そんな弱気な言葉より、80km先まで自国民を退避させたアメリカや、飛行機で自国まで帰させたフランスらの行動のほうが、よほど効果的だったことは明らかです。これがロシアの出来事であれば、人権論など無視して住民を強制退避させ、原発を収束させるために人員を送り込んだとも思います。


 僕を含め、日本人のほとんどが、大胆さを失っていました。

 日本人の自粛は、美しい心から出てきたものだと思います。しかし、それが邪魔になっていたことも事実でしょう。それが被災地の人をかえって苛つかせていたとしたら、本末転倒でした。極悪政府の片棒を無意識に担いでしまっていたとしたら、やり切れません。

 あんな強烈な自粛ムードでさえも思考を停止させず、

「節電に意味は無い。東電の策略にはまるな」

 と言っていた人たちの知性に感服しています。それでこそ意味ある言葉なのです。

 ただでさえ、小規模の素人ブログ。思い切りが無くて、なんの価値があるのでしょうか。テレビで言っているようなことを言って、何になりますか。

 それを分かっていても、本音を吐けない。心に混じりっけがあるから、予測の的中率も下がりました。

 自分の言葉に自信を失い続けた一年間でありました。


 ですから、被災者の方には、僕の言葉ではなく、別の人の言葉を贈ります。

 明治から昭和を生きた作家、高見順の言葉です。彼が敗戦直後の上野で見た光景です。

 以下、『敗戦日記』より。


 夕闇が人々の頭上におりてきた。
 大声が聞えてくる。
 役人の声だ。怒声に近かった。
 民衆は黙々と、おとなしく忠実に動いていた。
 焼けた茶碗、ぼろ切れなどを入れたこれまた焼けた洗面器をかかえて。
 焼けた蒲団を背負い、左右に小さな子供の手を取って・・・。
 既に薄暗くなつたなかに、命ぜられるままに、動いていた。
 力なくうごめいている、そんな風にも見えた。
 私の眼にいつか涙がわいていた。
 いとしさ、愛情で胸がいつぱいだつた。
 私はこうした人々とともに生き、ともい死にたいと思つた。
 否、私は、今は罹災民ではないが、こうした人々のうちのひとりなのだ。
 怒声を発し得る権力を与えられていない。
 何の頼るべき権力も、そうして財力も持たない。黙々と我慢している。
 そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もひとりだった。



 僕は、これを読んだ瞬間、理屈ではなく心を揺さぶられました。

 そして、イメージと違うことに驚きもしました。

 元々保守的な考えをするほうなので、日本人の心根の良さを信じてはいたのですが、敗戦直後の上野といえば、最も混乱している場所という思い込みがありました。東京中の悪が集まる場所という印象すらありました。

 しかし、これはどうですか。


 この光景には、現代の被災地と似たものがありませんか。

 かつての日本人も同じだったのです。その彼らは、焦土をビルに変え、復興を成し遂げました。

 強い日本人の魂が、今も我らに息づいている。となれば、未来の行く末は明らかでしょう。

 この日本人の我慢強さはどうですか。苦境の中でも他者に迷惑をかけず、他者のことを思っている。これも、現代と同じです。

 こんな人々を、高みに立って騙してはいけない。

 ただ黙々と耐え、役人の作る流れに従っている人を、愚民だと思ってはいけない。


 最近、当時の政府の答弁を反省する閣僚が現れました。被災者の生きる権利を奪っていたことを、心の中で認めていたわけです。

 彼らの失敗は、我ら日本人の底力や、優しさを侮っていたことです。

 混乱するから情報を統制する必要があった?

 馬鹿を言ってはいけない!



 必ず、復興しましょう。

 それが、亡くなった方への弔いでもあるはずです。

 『復幸』という言葉を使っておられた方がいましたが、生き残った人々が再び幸せを取り戻すことが、亡くなった方たちへの何よりの慰めでありましょう。

 今はまだ一周忌。

 悲しみを捨てる必要は無いかもしれません。まだ、悲しみと共に生きて、幸せを模索しましょうか。

 僕が経験から吐ける言葉があるとしたら。

 自分は幸せになってはいけないなどと、思う必要はどこにも無いということです。あなたが幸せを求めることには、少しの悪も存在しないということです。

 どうか、大胆に、生き残ったことを喜び、強く生きましょう。ね?


 再度、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。


 では・・・。

来るという予感

 昨日の21時1分と22分に、佐渡付近で深さ10kmを震源地とする地震があった。最大の揺れを示した地点で、震度5強。

 この大きさはちょうど、去年3月12日、僕自身が妙高にいて体験したものと同じだ。だから、それがどの程度のものかよく分かるつもりである。

 未明、爆発音と共に起きたが、どこも爆発してはいなかった。なんと、コンクリートが割れた音だったのだ。

 あの時は、前日に戦争が始まった可能性を視野に入れていたので、瞬時に戦闘モードに入って飛び起きたのを覚えている。

 戦争というのがどういう意味かは、あえて記さない。報道規制が入る前の、数十年前の新聞等を参考に書かれた、『ある種の』書籍を参考にしていただきたい。

 その存在を信じている僕は、数年前から空模様や地殻の動きに敏感になっていたのである。実際、このブログにも、唐突におかしな雲の様子などを何度か書いてきた。原発は弱点であると警告も発してきた。

 馬鹿だと笑っていただいてもいい。別に直感が的中してきたことを誇るつもりも無い。

 しかし、実は、今度の地震も、えも言われぬ直感により、起こりそうな気がしていたのである。


 昔、一歩間違えれば死んでいたような自転車事故を起こした。

 ロードバイクで暗闇の道を行く時、いきなり蛇の死体が現れたのだ。

 僕はその時、一番やってはいけない行動をとってしまった。とっさにハンドルを切ってしまった。それによりタイヤがロックされ、車体が制御不能となり、ノーヘルだった頭からコンクリートの地面に突っ込んで行ったのである。顔面や頭蓋骨、鎖骨などに、大小様々な骨折を負ってしまうこととなった。


 まだCTを撮る前、いろいろなことを考えた。

 そんな中で、異常な考えが浮かんだりもした。数日前から、ある種のサインがあったように思えてならなかったのだ。

 軽井沢でトレーニング兼観光をしていた時、見たことも無いくらい巨大な蛇が、道端に死んでいた。それは強烈に印象に残った。

 事故の当日だったか、前を走る車が、ウィンカーを右に出しっぱなしにして走っていた。それも、一台ではなかった。何度かそういうおっちょこちょいに遭遇した。

 これは、あり得ないような確率だと思う。田舎道を走っている時にそんなのが自分の前にいるのは、数ヶ月に一回あるか無いかという程度のことだ。それが一日に数台なのだから。

 僕の中で、なぜかその二つが結び付いていた。つまり、蛇の死体があるから、左に注意して(いつもより右側を)走れということだったのではと思えたのだ。


 今回も、似たような感覚に陥った。3日前の朝5時頃に起こった、数回の停電が僕の不安を呼び起こした。

 朝、雷も鳴っていないのに、停電が起きた。これは雪で電線が切れたかと思ったが、しかし一分もしない内に回復。やれやれと息をついたら、やがてまた停電。そんなことが何度か繰り返される内に、去年のことを思い出した。なぜか脳内で地震と結び付いてしまった。人生で初めて見る異常な家電製品の挙動に、新潟に地震が迫っていると感じてしまったのである。

 馬鹿だと笑って構わない。自分でも、理性がいくつものツッコミを入れているのだから。

 あれからまず関東に地震が起きたことに、違和感を覚えた。

 しかし、やっぱり来てしまった。新潟に、久しぶりにあの警報音が鳴り響いてしまった。

 とりあえず今は、雪崩が心配である。


 脅かすわけではないから、流していただいて構わないのだが、最近起こった関東での停電が気になる。

 実際断線があった千葉はともかくとして、電線が風に煽られて木に接触した可能性があるとか、原因は不明とのことだが……。


 今これを書いている僕は、コタツに寝転がっている。非常にリラックスしているつもりである。

 しかし、もしかしたらすごくおかしくなっているのかもしれない。停電→地震というジンクスのようなものを、受け入れてしまっているのだから。


 記事メールを送信したくない思いでいっぱいである。

 後から、送らなければ良かったと後悔することが目に見えている。


 ……あーあ。

 送信っ、と。

大雪だとか

 新潟県の上越・妙高地区が、最近全国ニュースのコーナーに登場することが多くなってきました。

 理由はもちろん大雪。この時期だけ注目されるというのがなんとも悲しいですね。

 しかも、まあ、確かに大雪は大雪なのですが、新潟県民にとってはそれほど想定外でもない量なので、正直騒ぎ過ぎだろという気がします。

 しかし、福島の太平洋側から移住してこられた方たちにとっては、過酷かもしれませんね。雪かきだってあまりしたことが無いでしょうし。背丈をはるかに超える高さの雪壁に驚いておられました。

 ですが、これから新潟を地元とするなら、それを当然のこととしていかなければならないわけです。だから大変だと思います。我等は生まれた時からこれですし、除雪のための機械も買ってありますが、彼等はこれからなのですから。

 しばらくは近所の人に助けてもらって、なんとかするしか無いかもしれません。

 屋根の上にのぼってスノーダンプを扱うのも、慣れていない人はちょっとやめておいたほうが良いかも。

 除雪を人に頼むと、近所の人とはいえ一回1万円ほど包むことになるかもしれませんが、それでも落ちて怪我をするよりはマシかな…と。タダでやってくれそうな良い人が近くにいれば、問題無いのですけれど。


 ……頑張って下さい。

 では。

悲哀

 ここ数日、書くことが多過ぎて、逆に書かないという逃げモードに入っておりました。

 更新をサボった日数も、史上最長になったかと思います。新年早々何やってんだという感じです。


 重要なことは考えがまとまっておらず、また長文を書く時間が今は無いので、とりあえず適当に悲しかったことを書きましょう。

 カップラーメンの山頭火。

 麺が細くなってない……?


 一平ちゃん夜店の焼きそばとともに、僕が大学生だった頃を支えてくれた思い出のカップ麺が、変わってしまった気がします。

 あれから約10年経ってもまだ店頭に並んでいるのですから、大ヒット商品であることは間違い無いのですが、その両者でさえも変わることを迫られるのかと愕然としております。一平ちゃんにがっかりさせられたことは以前に書きましたが、今回もまた、青春が取り戻せないものであるという現実を突き付けられたような気持ちがしています。

 高くてもいいから、両者には元の姿に戻ってほしいと願っています。

 以上です。


 あ。

 勘違いだったらすみません。


 では。

30

 今日で30歳となりました。

 頑張ります!!!!!
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プロフィール

望月茂樹

Author:望月茂樹
 

 再手術へのカウントダウン開始。

 戦々恐々とする毎日です。

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