今日のバンキシャを見て思ったこと
一つ前の記事は、土曜日のものです。更新通知が届いたのが今日だったので、念のため。
さて。今日の『バンキシャ』を見ていて驚いたことがあります。
今までも、日本のゲームが既に海外に遅れを取り、世界で「日本のゲームはもう通用しない」とか、「日本のRPGはストーリーが幼稚」と言われていることは知っていました。
海外メーカーは、テストプレイヤーを何十人も抱えたリサーチ会社に評価を依頼して、意見を反映させてゲームを作るのが常識となっています。
あるリサーチ会社は、各国から招いたテストプレイヤー(プロ級の腕前の人ばかりではない)の全てを正社員として雇い、一日8時間のプレイを仕事として命じていますが、それがビジネスとして成り立つほど一般化しているということです。
会社はカメラでテストプレイヤーの表情を監視し、何分で飽きはじめるのか、飽きた理由を調べます。それどころか、脳波を調べて最適な展開や難度を調べたりもします。
特に北米などでは、そこまでしないと売れるゲームはできないと捉えられているのです。だからこそ、制作費の1割をかけてまでリサーチ会社に依頼するわけです。
そして、それをしない日本のメーカーはまぐれでしか売れるゲームを作れないと見られています。
さらには、エンジンと呼ばれる3D映像を簡単に作り編集できるソフトを利用することで、簡易・量産体勢に入ってもいます。昔のように、ちょっとの3Dムービーで何千万円もかかるようなやり方ではないのです。
そんな流れに反抗したレベル5とジブリとのコラボ作品『二ノ国』を取り上げた先日の番組には、日本式(?)の緻密なやり方で、命を削って作るスタッフの姿がありました。
大量生産が利かない、職人的・アーティスト的なこだわりが世界に通用するのかどうか。
その番組を見てからは、それが今後の日本のサブカルビジネスの行く末を担うと注目していました。
電子書籍について触れた回では、一部のケータイ小説のように、読者の意見に迎合した作品は理論で作られたものに近く、芸術ではないと評しました。
その理屈でいけば、海外のやり方は間違いなく理屈寄りで、レベル5のようなやり方は芸術寄りであると言えます。
しかし、マンガに関しては、少年ジャンプ作品を始め、多くは読者の意見に左右されながら作っていると言われます。人気が無いものは即打ち切られるそうです。
しかし、それでも『ドラゴンボール』や『ワンピース』など、世界でも人気を得て億単位の単行本発行部数を達成した作品もありますよね。
それらがどの程度読者を意識して作られたのかは不明ですが、リサーチによっても人気作が作れるということの証明であるかもしれません。
だから、日本はゲームにおいて、こだわるが故に負け組に入る可能性があるということではないでしょうか。
独りよがりになるリスクを抱え、細かなこだわりに時間と労力をかけてまで『良い』作品を作っていられるのか。
暴力性の一部排除など、綺麗事を言っていて世界の過激な作品に勝てるのか。
既に日本ゲームは駄目というレッテルが貼られつつあり、(僕の目から見てですが)海外を見据えた作りと量産体勢に入ったファイナルファンタジーさえも酷評されています。
日本マンガが問答無用で注目されているように、ゲームが日本製であるというだけで切り捨てられる日が来るのかもしれません。
もう、かつてのように日本ばかりが作っているという状況に甘えていられないのです。
そのようなことを書いてきたように思います。
しかし、アニメ・マンガだけは絶対的な日本ブランドがあると思っていました。それ前提で書いてきたことも多いです。
ところが今日の『バンキシャ』を見る限り、どうやらそうではないらしい。人気は人気だけれど、世界へのそれらの輸出額は大きく落ち込んでいるそうです。
これは、国家プロジェクトで日本に取って代わろうと人材を育成しているチャイナ・コリアオタク文化の影響なのか、円高のせいなのか、それとも他の理由なのか。
とにかく、資源を持たず、オタク文化が無視できないほど大きな国の財産である日本にとって、マンガまで落ち込むことは避けねばなりません。
ならば何をしたら良いのか。
今と同じで良いとしか言えません。クオリティを下げたら本末転倒です。暴力性だって上げてはなりません。
むしろ、今ある作品を自ら翻訳して売っていくのが吉でしょう。
海外の出版社は、日本作品の内容を見ずに絵をパラパラと眺めて出版するかどうかを決めるそうです。
だから、僕らからしたら首を捻るような作品が出版されていて、知ってほしい作品が止められたりする。
例えば、『アカギ』や『カイジ』はあんなに面白いのに、アメリカで出版されていないのではないでしょうか。絵がアレだから。
絵がアーティスティックにキレイというなら、チャイナ・コリア作品のほうがむしろ凝る傾向にあるかもしれません。
コリアの売り込み熱も手伝って、既にフランスでそれが評価され始めています。
海外は、やはりきれいな絵を求めているようです。
でも、主役はやっぱり絵のきれいさなんかじゃない。僕はそう思います。
絵のきれいな作品しか読んでいないなら、海外の人たちは日本マンガ文化の半分も楽しんでいないとさえ思うほどです。
『首斬り朝』などで日本人の考え方を知ってもらうのも良いでしょう。
これからは、上っ面ではなくより深い所まで知ってもらえるように、日本から日本の知ってもらいたいところを発信していくべきではないでしょうか。
経済産業省クールジャパン室は、オタク文化の衰退傾向を受けて、それ以外の日本の職人的な魅力も発信していくことに決めたようです。
世界に通用する技術を持っているのに、面倒だから、アピールが下手だから国内で細々と売っている物を、政府主導で世界に紹介しようというのです。
それはそれで良いですけどね。農業に関しても、政府がそういう試みをしてくれれば良いのにと思います。それに関してはTPPに関して書いた記事に譲りますが。
この経済産業省の動きは良いことです。ただ、(クールジャパン室の)スタッフを現在の8人より増やしてオタク文化ももっと売っていってほしいです。
外務省の『カワイイ大使』のように、一般人からスタッフを募っても良いではありませんか。岡田斗司男氏などのマンガに詳しい人、出版社、あるいは電子書籍有識者を交えて、本格的に政府が売る体勢を整えたっていい。
この国は兵器を使わないのが美徳ですが、文化の武器まで眠らせておく余裕はもう無い。
ならば、一番強い政府がやってくれれば一番いい。
ただ、性と暴力の混在する作品は避けるべきでしょう。
僕が殺人マシーンを作るとしたら、一つの手段としてセクシーなキャラクターが主人公の暴力ゲームを遊ばせます。
これにより性と暴力の興奮が結び付き、まるでマスターベーションをするかのように暴力を求める人間ができやすくなるからです。
かつてこの現象を善の方向に活用した能力開発法を紹介しましたが、人には連想や感情の結合が起こるのです。
これをやり続けた人間の中からは、暴力を振るった時に射精するような人間が現れるでしょう。
現実に、アメリカを中心として、酷い犯罪を犯した人間の半分以上はそれらが混在したゲームを遊んでいたそうです。特に、まだ心が固まらず揺れる思春期にそういう強烈かつステルス性のメッセージを持つ作品を遊ぶのは毒になるようです。
それを日本が発信してはなりません。
ただ、検閲の度が過ぎると、一時期のアップルのように芸術の敵というほどのレベルになってしまう。
本当に難しいところですね。
さて。今日の『バンキシャ』を見ていて驚いたことがあります。
今までも、日本のゲームが既に海外に遅れを取り、世界で「日本のゲームはもう通用しない」とか、「日本のRPGはストーリーが幼稚」と言われていることは知っていました。
海外メーカーは、テストプレイヤーを何十人も抱えたリサーチ会社に評価を依頼して、意見を反映させてゲームを作るのが常識となっています。
あるリサーチ会社は、各国から招いたテストプレイヤー(プロ級の腕前の人ばかりではない)の全てを正社員として雇い、一日8時間のプレイを仕事として命じていますが、それがビジネスとして成り立つほど一般化しているということです。
会社はカメラでテストプレイヤーの表情を監視し、何分で飽きはじめるのか、飽きた理由を調べます。それどころか、脳波を調べて最適な展開や難度を調べたりもします。
特に北米などでは、そこまでしないと売れるゲームはできないと捉えられているのです。だからこそ、制作費の1割をかけてまでリサーチ会社に依頼するわけです。
そして、それをしない日本のメーカーはまぐれでしか売れるゲームを作れないと見られています。
さらには、エンジンと呼ばれる3D映像を簡単に作り編集できるソフトを利用することで、簡易・量産体勢に入ってもいます。昔のように、ちょっとの3Dムービーで何千万円もかかるようなやり方ではないのです。
そんな流れに反抗したレベル5とジブリとのコラボ作品『二ノ国』を取り上げた先日の番組には、日本式(?)の緻密なやり方で、命を削って作るスタッフの姿がありました。
大量生産が利かない、職人的・アーティスト的なこだわりが世界に通用するのかどうか。
その番組を見てからは、それが今後の日本のサブカルビジネスの行く末を担うと注目していました。
電子書籍について触れた回では、一部のケータイ小説のように、読者の意見に迎合した作品は理論で作られたものに近く、芸術ではないと評しました。
その理屈でいけば、海外のやり方は間違いなく理屈寄りで、レベル5のようなやり方は芸術寄りであると言えます。
しかし、マンガに関しては、少年ジャンプ作品を始め、多くは読者の意見に左右されながら作っていると言われます。人気が無いものは即打ち切られるそうです。
しかし、それでも『ドラゴンボール』や『ワンピース』など、世界でも人気を得て億単位の単行本発行部数を達成した作品もありますよね。
それらがどの程度読者を意識して作られたのかは不明ですが、リサーチによっても人気作が作れるということの証明であるかもしれません。
だから、日本はゲームにおいて、こだわるが故に負け組に入る可能性があるということではないでしょうか。
独りよがりになるリスクを抱え、細かなこだわりに時間と労力をかけてまで『良い』作品を作っていられるのか。
暴力性の一部排除など、綺麗事を言っていて世界の過激な作品に勝てるのか。
既に日本ゲームは駄目というレッテルが貼られつつあり、(僕の目から見てですが)海外を見据えた作りと量産体勢に入ったファイナルファンタジーさえも酷評されています。
日本マンガが問答無用で注目されているように、ゲームが日本製であるというだけで切り捨てられる日が来るのかもしれません。
もう、かつてのように日本ばかりが作っているという状況に甘えていられないのです。
そのようなことを書いてきたように思います。
しかし、アニメ・マンガだけは絶対的な日本ブランドがあると思っていました。それ前提で書いてきたことも多いです。
ところが今日の『バンキシャ』を見る限り、どうやらそうではないらしい。人気は人気だけれど、世界へのそれらの輸出額は大きく落ち込んでいるそうです。
これは、国家プロジェクトで日本に取って代わろうと人材を育成しているチャイナ・コリアオタク文化の影響なのか、円高のせいなのか、それとも他の理由なのか。
とにかく、資源を持たず、オタク文化が無視できないほど大きな国の財産である日本にとって、マンガまで落ち込むことは避けねばなりません。
ならば何をしたら良いのか。
今と同じで良いとしか言えません。クオリティを下げたら本末転倒です。暴力性だって上げてはなりません。
むしろ、今ある作品を自ら翻訳して売っていくのが吉でしょう。
海外の出版社は、日本作品の内容を見ずに絵をパラパラと眺めて出版するかどうかを決めるそうです。
だから、僕らからしたら首を捻るような作品が出版されていて、知ってほしい作品が止められたりする。
例えば、『アカギ』や『カイジ』はあんなに面白いのに、アメリカで出版されていないのではないでしょうか。絵がアレだから。
絵がアーティスティックにキレイというなら、チャイナ・コリア作品のほうがむしろ凝る傾向にあるかもしれません。
コリアの売り込み熱も手伝って、既にフランスでそれが評価され始めています。
海外は、やはりきれいな絵を求めているようです。
でも、主役はやっぱり絵のきれいさなんかじゃない。僕はそう思います。
絵のきれいな作品しか読んでいないなら、海外の人たちは日本マンガ文化の半分も楽しんでいないとさえ思うほどです。
『首斬り朝』などで日本人の考え方を知ってもらうのも良いでしょう。
これからは、上っ面ではなくより深い所まで知ってもらえるように、日本から日本の知ってもらいたいところを発信していくべきではないでしょうか。
経済産業省クールジャパン室は、オタク文化の衰退傾向を受けて、それ以外の日本の職人的な魅力も発信していくことに決めたようです。
世界に通用する技術を持っているのに、面倒だから、アピールが下手だから国内で細々と売っている物を、政府主導で世界に紹介しようというのです。
それはそれで良いですけどね。農業に関しても、政府がそういう試みをしてくれれば良いのにと思います。それに関してはTPPに関して書いた記事に譲りますが。
この経済産業省の動きは良いことです。ただ、(クールジャパン室の)スタッフを現在の8人より増やしてオタク文化ももっと売っていってほしいです。
外務省の『カワイイ大使』のように、一般人からスタッフを募っても良いではありませんか。岡田斗司男氏などのマンガに詳しい人、出版社、あるいは電子書籍有識者を交えて、本格的に政府が売る体勢を整えたっていい。
この国は兵器を使わないのが美徳ですが、文化の武器まで眠らせておく余裕はもう無い。
ならば、一番強い政府がやってくれれば一番いい。
ただ、性と暴力の混在する作品は避けるべきでしょう。
僕が殺人マシーンを作るとしたら、一つの手段としてセクシーなキャラクターが主人公の暴力ゲームを遊ばせます。
これにより性と暴力の興奮が結び付き、まるでマスターベーションをするかのように暴力を求める人間ができやすくなるからです。
かつてこの現象を善の方向に活用した能力開発法を紹介しましたが、人には連想や感情の結合が起こるのです。
これをやり続けた人間の中からは、暴力を振るった時に射精するような人間が現れるでしょう。
現実に、アメリカを中心として、酷い犯罪を犯した人間の半分以上はそれらが混在したゲームを遊んでいたそうです。特に、まだ心が固まらず揺れる思春期にそういう強烈かつステルス性のメッセージを持つ作品を遊ぶのは毒になるようです。
それを日本が発信してはなりません。
ただ、検閲の度が過ぎると、一時期のアップルのように芸術の敵というほどのレベルになってしまう。
本当に難しいところですね。



